死を知らない

 

 

味気ない音楽、刺さる歌詞と隙間にはまり込むようなメロディ。

諦念と無力感を歌うのはプログラムされた機械で、人が作らなきゃ成り立たないからそこには絶対に人間性がある。ペラペラの恋愛、文学も音楽もこの世だけを見ているようだ。

 

21世紀に生まれた私は生々しい死を知らない。死んだ人?身内は老衰や肺炎で亡くなったから死に際は眠るようだった。呆けた親戚は激昂して物を投げつけられる程元気で一向に死ぬ気配が無い。戦争のような死を私は知らない。死んでしまいたいと私の周りの人は言う。今日やらかしちゃってさ〜死にた〜。人生つらいしんどいしにたい。死にたい死にたい死にたい。うんこ機能付きのゴミクズだから死にたいな〜。これ?うん、ちょっと切っちゃってさ。死にたいけど勇気ないから殺して欲しいな〜。そう呟く知り合いで本当に死んだ人を私は知らない。死にたいのではなくこの人生を生きていたくないというだけで、たぶん一億円でほっぺを引っ叩いたら元気になるんだろう。

 

人生に意味は無い。あなたのご両親が作った。あなたが生まれた。それだけ。あなたは自力にせよ他者からの強制にせよ、自分の人生に意味付けをしたはずだ。こんな意味があるのかな。このために生まれてきたのかな。意味なんてないけどとりあえず生きてみようかな。無意味だけどそんなものかな。溢れかえる人生のストーリーはあなたを味付けする。私は生々しい死を知らない。

 

死にたいのではなく生きていたくない。そんな逃避や無力感や絶望や諦めが私の周りには渦巻いている。妬み嫉み悲しみ怒り。言葉で音楽で映像で表現される物語や感情が全く心に響かないのは何故だろう。きっと死がそこに無いから。のうのうと生きていたいという執着しか私の貧しい心には感じられないから。

 

生きる価値のある人間はいるのだろうか。社会の役に立つ人間はいっぱいいるだろう。たくさんの役立たずの上に。